日本貨幣関係史9:松方財政と「日本銀行」の設立

長期間大蔵大臣、のちに総理大臣を務めた松方正義。
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明治14(1881)年10月21日に松方正義は新しい大蔵卿となり、差し迫った明治政権の財政危機に対応するために、中央銀行の設立に乗り出した。松方の覚え書きによれば、国立銀行は、要するに封建時代の残滓であり、貨幣を管理するためには全国で唯一の中央銀行が作られなければならないということであった。そのとき、松方は中央銀行設立の趣旨として、「金融ヲ便易ニスル事」、「国立銀行諸会社等ノ資力ヲ拡張スル事」、「金利ヲ低減スル事」、「中央銀行ヲ設立シ行務整頓ノ日ニ至ラハ大蔵省事務ノ中銀行ニ託シテ弊害ナキモノハ分ツテ之ニ付スル事」、「外国手形割引ノ事」の5つをあげている。そして、明治15(1882)年6月27日に、以上のような趣旨を盛り込む形で、中央銀行の設立に関し、「日本銀行条例(太布32)」が公布された。これにもとづき、明治15(1882)年10月6日に明治政権は「日本銀行」を設立し、同行は10月10日に開業した。

 

1896年に建てられた現在の日本銀行本館。 写真:Wiiii / CC BY-SA 3.0

明治16(1883)年5月5日に出された「国立銀行条例中改正加除(太布14)」は、国立銀行の免許期間を設立から20年を限度とすることにした。これによって、日本銀行は日本で唯一の銀行券が発行できる銀行となった。国立銀行は、新しい条例のもとで、国立銀行とは別に設立された私立銀行と同様な経営を続けることになった。そして、このように性格を変化させられた国立銀行は発行した銀行券の25%に相当する交換準備金を保有することを求められた。この改正された国立銀行条例により、日本銀行のみが銀と紙幣の兌換を行ないうる銀行とされたので、中央銀行である日本銀行の重要性は増大してきた。こうしたことから、明治6(1873)年から明治31(1898)年にかけて存在した153の国立銀行のうち、122行が普通銀行に転換した。たとえば、「第一国立銀行」は「第一銀行」に、「第七十七国立銀行」は「七十七銀行」になったのである。

 

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