日本貨幣関係史12:日英同盟下における日英中央銀行間の協力関係、1895-1921

本記事の著者サイモン・ジェイムス・バイスウェイの著書「日本経済と外国資本」の表紙(刀水書房)。
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金融および外交史にとって、1902年の第一次日英同盟協約、1905年の第二次日英同盟協約、および1911年の第三次日英同盟協約の締結という形で、日本が当時における強大国英国(グレート・ブリテン)との間に「同盟」関係を持ち得たことの意味の大きさを検討することが必要になってくる。その終焉のほぼ100年後に、日本銀行とイングランド銀行からの新しく放出された研究史料によって、両中央銀行の協力関係の性質および意義を解明する研究が可能となった。第一次日英同盟協約の締結交渉の過程において、日英関係は新たな段階に入るが、日英同盟の金融的な背景について、これまで日本においてほとんど省みられることがなかった英国側の事情、とりわけボーア戦争(1899-1902)のなかで国際的に孤立し、世界最大の債権国といわれながらも実質的に金融の緊縮状態にあった英国が、日本をみずからの側につなぎ止めておかなければならなかったという事情があったからである。その際、日本が日清戦争において清国から獲得した賠償金を「金」で受け取ったということが大きくかかわっている。それは日本が実際に受け取ったのは金そのものではなく、金に兌換しうる英貨ポンドの「外貨準備」であったからである。その結果、英国としては、そのポンドが日本によって兌換され、日本に正貨の形で渡さなければならなくなることを最も恐れたのである。

 

第二次日英同盟協約の締結を記念する三越呉服店による絵葉書 1905年 東京 写真: Artanisen / Mitsukoshi Department Store – CC BY SA 4.0.

いずれにせよ、日英同盟の金融的な背景を知るためには、イングランド銀行に設けられた日本銀行の「外貨準備」の口座の存在と意義について具体的に考察する必要がある。さらに、1905年12月から1907年9月にかけての時期においてイングランド銀行の公定歩合を維持するために、また国際金融における英貨ポンドの優勢な地位を支えるために、イングランド銀行はしばしば日本銀行、インドの参事会および英国内の他銀行などから借入金を受け入れていたが、その場合において日本銀行の果たした役割は非常に大きな意味を持つものであったことが明らかである。

著者についての詳細はCoinsWeeklyのWho’s who からアクセスできます。(英語)