明治政権は折から発達しようとしていた主要産業部門や個々の会社に資金を供給するため種々の取り組みを実施していた。明治2(1869)年に新政権は産業と貿易の進展のために「通商司」を設立した。そして、通商司は同じ目的をもって8つの「為替会社」を設立したが、それらが設置されたのは東京、横浜、大阪、京都、神戸、新潟、敦賀、大津の8カ所であった。為替会社は産業に資金を調達するためにもう1つの紙幣を発行した。この為替会社紙幣は太政官金札などとの交換が可能であったが、実際には、紙幣一般の価値が下落していたから、国民と市場は為替会社紙幣の存在を容認しなかった。このため、為替会社の経営はほとんど失敗に終わったが、唯一「横浜為替会社」だけが銀と交換可能な紙幣「洋銀券」を発行していたので、営業を継続することができたのであった。
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