忘れ去られた「D-Day」に話を戻すと、なぜ1971年にそれが起こったのか、ということを問わなくてはならない。21世紀の「ブレグジット」の視点を通すと、ポンドが10進法化されたのは、もしかしたら1973年に英国が欧州経済共同体(European Economic Community‐EEC)に加盟するための準備と関連付けることができるかもしれない。英国の一部の人々が、現在のEUの首都であるブリュッセルやフランス、ドイツ、イタリア(あるいはローマ帝国)を非難するのは無理もないことかも知れない。しかし、驚くべきことに、この重要な変化は、1828年から英国の「貨幣委員会(Currency Board)」で継続的に検討されていたのである。19世紀初頭に英国の金融当局は10進法の貨幣制度の利点を予見していたにもかかわらず、改革の時期が到来するまで143年もの間で貨幣ならびに通貨の状況を監視していたのである。やがて、英国の金融当局が「心変わり」する理由は、第二次大戦後、大英帝国から独立運動の結果、「世界的に10進法が普及し、とくに旧英国領の南アフリカ、オーストラリア、ニュージーランドでの導入に成功したこと」である。
本シリーズは、CoinsWeeklyに以前掲載された記事を日本人の読者様向けに修正したものです。英語の原文はこちらでご覧いただけます。
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