コインに描かれた歴史上の人物には、非常に立派で人気のある人物も多いですが、中には、後世の人々からかなりの悪人として記憶されている人物もいます。暴君・サイコパスや極悪非道な支配者の肖像が描かれたコインというのも、人気のある収集分野です。ここにコインやメダルに描かれた、極悪非道な支配者の一部をご紹介いたします。
ブルータス
マルクス・ユニウス・ブルトゥス(紀元前85~42 年) は、史上最も有名な暗殺者として歴史書に記されています。共謀者たちとともに、紀元前44 年の3月15日にローマの元老院でガイウス・ユリウス・カエサルを暗殺しました。このコインに彼が描かれています。裏面の短刀は殺人を暗示していて、共和国のために暴君を殺しその行為を誇っている様子が描かれています。
ネロ
ローマ帝国には残酷で狂気の皇帝が複数いましたが、最も評判が悪いのは何といってもネロ(紀元後37~68年)でしょう。資料の信憑性が疑わしい点がいくつかあるにせよ、数々の恐ろしい行いを彼がしたと言われています。彼はいたるところで陰謀を見つけて、予測不可能な殺人を命じたと言われています。自分の妻や母親まで殺させたと言われています。また、宮殿などの豪華な建物を建てるスペースを確保するために、ローマ市街をわざと焼き払ったとも言われています。この火事は、彼が残忍にも迫害した、まだ黎明期にあるキリスト教の一派のせいだとされています。
チンギス・カン
チンギス・カン (1227年没) はモンゴル帝国の創始者です。中国からヨーロッパに至るまで、この残虐な騎馬民族の襲撃に恐怖と不安を感じながら生活していました。現在の推定では、400万人から4,000万人が犠牲になったとされています。 4,000万人という数字は、当時の世界人口の11%に相当します。外国での評判は悪いのにかわらず、モンゴルでは 今日でもこの偉大な征服者を好んでコインや紙幣のモチーフにしています。
英国のヘンリー8世
英国王ヘンリー8世 (1491~1547年) は、6回の結婚と、そのうちの2人の妻を斬首刑に処したことで、今日もその名が記憶されています。また、気まぐれで激怒しやすく、残忍な性格の持ち主であったとされています。しばしば些細な理由で多くの臣下を処刑したとされています。
英国のメアリー1世
メアリー1世 (1516~1558年) はヘンリー8世の娘でした。敬虔なカトリック信者であった彼女は、英国で再びカトリックを支配的な宗教にしようとするために、プロテスタント信者を迫害・拷問・処刑しました。当時の支配者と比べて、彼女が平均以上に残忍であったというわけではないのですが、プロテスタント信者たちが「ブラディー・マリー」というあだ名を彼女につけたので、非常に血に飢えた支配者という評判を今日まで「享受」することになってしまいました。
ヴラド・ツェペシュ(串刺し公)
ヴラド3世(1431~1477年) の残虐行為についての伝説と真実を区別することは困難です。ルーマニアの侯爵で、小説ドラキュラの登場人物のモデルとなったこの人物は、残忍でサディスティックであったと言われています。何千人もが彼の命令で、皮を剥がされ、焼かれ、杭に突き刺されたとされ、「串刺し公」の異名を持っています。男性は彼に敬意を表して帽子を急いで取らないと、帽子を頭に釘で打ち付けられたと言われています。
ローマ教皇アレクサンデル6世
ルネサンス期の多くの教皇は、キリスト教の指導者としてはふさわしくない厚顔無恥の権力者でした。中でも最も酷かったのは、教皇選出される前にはロドリーゴ・ボルジアという名前のアレクサンデル6世 でした。このスペインの恥知らずの巨大な権力者は、他の誰よりも自分自身の富のため、そして子供たちのために、イタリアにある強大な権力を確保し、自分の敵を無慈悲に殺害させるために職権を乱用しました。イタリアの貴族や教会の関係者は、これを教訓としました。アレクサンデル6世以降なんと1978 年にポーランド出身のヨハネ・パウロ二世が教皇に選出されるまで、一人の例外を除いてイタリア人しか教皇に選出されませんでした。
シャルル 9世とその母
フランスの歴史における出来事の中に、16世紀後半にフランスで、カトリックとユグノーと呼ばれるプロテスタントの間で血みどろの戦争が繰り広げられていたことがあります。ユグノーの指導者たちが、パリのシャルル9世 (1550~1574年) を訪問した1572 年、和平は目前にありました。高い地位にある貴族の結婚が和平をもたらすとされていました。その代わり、その夜ユグノーの指導者たちは殺害され、パリ市内の多くのプロテスタント住民も虐殺されました。この数千人の死者を出した事件は、「パリの血の婚礼」または、「サン・バルテルミの虐殺」と呼ばれています。精神的に不安定な王が自ら虐殺を命じたのか、それとも謀略家の母カトリーヌ・ド・メディシスが命じたのかは、今日に至るまで明らかになっていません。このメダルでは、その両者を見ることができます。
マクシミリアン・ロベスピエール
このメダルにはマクシミリアン・ロベスピエールが描かれています。政治家として才能はあったものの、フランス革命がいわゆる恐怖政治といわれる恐怖による支配に陥ったのは明らかに彼の功罪といえます。「革命の敵」狩りで、2万5千人から4万人が亡くなりました。根拠のない理由でギロチンで死刑に処される恐れに、多くの人が怯えていました。ロベスピエールが失脚し自らもギロチンにかけられてようやく、この恐怖政治は終了しました。