日本貨幣関係史10:「日本銀行兌換銀券」の誕生と紙幣の統一

写真: PHGCOM – CC BY-SA 3.0
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明治政権が設立した「日本銀行」のもとで進められた不換紙幣の償却によって、明治政権は歳入を増加させ、国家財政を黒字にすることができた。松方正義は、歳入の増加のために、薬に対する租税および米仲買人と株仲買人への租税を導入し、酒とタバコの租税を改正するとともに、明治14(1881)年から明治18(1885)年の4年間の歳出を一定に維持することにつとめた。この政策は、明治18(1885)年の終わりまでに明治政権に4,010万圓以上の剰余金をもたらした。明治政権はこの剰余金のうちから1,364万圓を既発行紙幣の破棄にあて、残りを通貨発行準備金として、その半分を古い紙幣の購入に、さらに半分を外国からの正貨の購入にあてた。明治政権のもとで、主な市場のある国に領事館が創設された。また、国際市場において金に対する銀の価値が低下したので、事実上銀本位国の日本の輸出品は金本位国において安価に作用した。その結果、輸出が伸長し、国際収支も改善されることになった。

 

大黒一円札、日本銀行 兌換銀券 1885年. 写真: PHGCOM – CC BY-SA 3.0 / Eclipse2020 – CC BY-SA 4.0

松方の緊縮政策、すなわち「松方デフレ」によって、明治14(1881)年から明治18(1885)年までに国内で流通していた紙幣は8,800万圓にまで縮小した。このようにして、明治14(1881)年から明治18(1885)年まで、日本銀行の正貨準備率は8%から35%までに増大した。結局のところ、松方の大胆なデフレ政策の目的は、産業の発達を促進し、安定した通貨を供給することにあったが、明治政権にとっても十分な歳入が保証され、国家財政を確保することができたと同時に、日本経済の発展に寄与することができたのである。

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