サイモン・ジェイムス・バイスウェイ著
明治維新の革命的な戦争のなかで、新政権は、慶応4、すなわち明治元(1868)年4月に貨幣改革と「造幣寮」を設置する方針を決定した。明治元(1868)年10月7日の「金札通用の趣旨を布達せしむ(第816)」とした条例によって、明治政権は新通貨を発行することになったが、同年10月23日には、これまでの通貨のうち硬貨の流通を禁止する「旧貨幣は改定の価位を以て通用すべきを厳令す(第882)」という条例を公布した。この新通貨は「圓」とよばれたが、これまでの硬貨が中国の影響を受けていたのに対して、圓は欧米の通貨の型を採用した。圓の誕生の前、日本製の硬貨はほとんど銅製で、さらに必ず方形孔があった。「圓」の起源にはさしずめ3つの説がある。1つ目は、新貨は円形なので「圓」と呼ばれた。2つ目は、中国南部で「メキシコ・ドル(洋銀)」が「洋圓」と呼ばれていたのが日本に伝わった。3つ目は、香港旧造幣局の機械を導入したことから「香港壹圓」銀貨の「圓」を模倣した。やがて、この条例では、単位としてメートル法を採用し、さらに銀をもって通貨の標準とすることが定められていた。要するに、新政権は、銀本位制を採用したのである。
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以前の記事でイギリスのオークション会社に、日本の初の金製円硬貨の試鋳貨が登場したことについてお伝えいたしました。