日本貨幣関係史4:新貨条例と金本位制の採用の試み

岩倉使節団の一員として、後に内閣総理大臣となる伊藤博文(右から二人目)は1871年に訪米した。 彼は既に1870年に同国を訪れ、西洋の貨幣制度を研究していた。
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明治3(1870)年12月29日に、伊藤博文は、アメリカ合衆国から明治政権にあてて大蔵少輔としての立場で「我新貨幣ヲ『メトリック、システム』(普通折衷ノ製法ヲ云フ)ノ製法ニ改正スル議」という覚え書きを送ってきた。その当時、伊藤博文はアメリカ合衆国において金融と貨幣の研究をしていたが、伊藤は覚え書きのなかで次のように述べている。

「抑々貨幣ヲ鋳造スルニ当リ其原位ヲ定ムル金銀何レカ基礎トナルヘキ当否ハ既ニ方今文明欧州諸国ノ碩学多年ノ経歴ヲ以テ金貨ヲ原位ト定ムルノ議略一轍ニ帰ス」

すなわち、伊藤は金本位制が望ましいとしたのである。明治政権は、こうした伊藤の主張を認め、明治4(1871)年5月10日に出された「新貨条例(太267)」において、

「方今貿易ノ道弥々盛ムナル時ニ当リテ旧弊ヲ改メ精良ノ新製ヲ設ケスンハ何ヲモツテ流通ノ道ヲ開キ富国ノ基ヲ立ンヤ是政府ノ責任ニシテ然モ燃眉ノ急務タリ」

ということを明らかにした。そして、この新貨条例にもとづき、日本では金本位制が採用されることになったのである。

 

参考文献:
明治財政史編集会『明治財政史』第十一巻(丸善、1905)p.337.
明治財政史編集会、同上書、p.349.

 

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