おわりに:追憶と忘却について
興味深いことに「10進通貨委員会」のフリスク議長は、「D-Dayが成功すれば、1971年は平凡な年になる」と述べていた。1971年、英国の全土に10進法が導入されたことは、この言葉で測れば、文句なしの成功であった。しかし、通貨制度において10進法の「成功」は、数多くの方法で測定することができる。
数年前、私は、10進法の貨幣とSI単位のメートル法を使用するフランスの驚くほど保守的な経験についての興味深い洞察を、1895年にフランスの司祭の言葉として引用しているのを目にしたことがある。そこには、「村人たちは兵役を終え、子供たちは学校を卒業したが、メートル法(1791年に設立)はまだ習慣として定着していない」と記載されている。要するに、10進法およびメートル法は、フランス革命の最も永続的な「遺産」の1つであることは、間違いないからである。1803年に導入された新しいフランによって、それまでの貨幣制度(12という「時代遅れ」の基数を持つ)は塵と化すはずだったのである。しかし、19世紀末のフランスでは、(孤立した田舎の村だけとはいえ)驚くことに、旧式の貨幣(リアール、ブラン、ロー、古いクラウンなど)が、公式には無効化されてからも、ある地域で一般の人々に使われ続けていたのである。
これに関して英国は、どうだったであろうか。違法な並行貨幣制度や、1971年における「D-Day」のキャンペーンに対する国民の抵抗が広まった形跡はあったのだろうか。概して、大英帝国の伝統的な基準や制度の多くが改革され、置き換えられ、放棄されるなかで、「古い貨幣」からの変化は、避けられないものとして受け止められていた。20世紀末の英国では、10進法以前の古い貨幣制度に対するノスタルジーや好意はあったかもしれないが、その再導入に対する信頼できる要求や意欲はなかったのである。1971年の「D-Day」は、知らぬ間に大成功を収めていたのである。実際には、今日(約50年後)、私たちが日常的に使っていた12進数や、12進数によって生まれた古い貨幣および通貨(シリング、クラウン、フロリン、ペニー、ハーフ・ペニー、ファージング)は、すっかり忘れられてしまっているのである。
筆者注:私が、12が「魔法の」あるいは「崇高な」数字として最初に話をしたのは、マーク・メッツラーとの共著『Central Banks and Gold: How Tokyo, London, and New York Shaped the Modern World』(Ithaca: Cornell University Press, 2016)であった。改めて、メッツラー先生に感謝申し上げる。
本シリーズは、CoinsWeeklyに以前掲載された記事を日本人の読者様向けに修正したものです。英語の原文はこちらでご覧いただけます。
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